作曲家であり、指揮者であり、音楽理論家でもある保科洋という音楽家を一言で表すとしたら、「古き良き時代の人」となるだろうか。

 

バーンスタインも、フルトヴェングラーも、作曲家であり指揮者だった。さらに時代を遡れば、作曲家であり指揮者であることはごく普通のことだった。

しかし、分業化が進んだ現在において、いくつもの領域で同時に何かを成し遂げようとするのは、かつてより難しく贅沢なことなのかもしれない。

 

保科洋は、作曲専攻でありながら、東京芸術大学在学中からプロの奏者が何人も参加する市民オーケストラの指揮をする機会に恵まれた。当時は作曲を学ぶ学生の数が現代よりずっと少なく、指揮科に至っては数年前に出来たばかりだったのだ。

その熱い交流の中から、どれほど多くのことを学んだだろうか。

しかし、現代では、そのようなポジションは指揮を専門に学んだ経験豊かな音楽家にこそ与えられるべきとされるかもしれない。

 

作曲家の書く楽譜は、音になるまでは所詮紙切れにすぎない。書いて、音にしてもらって、直して、また書く。オーケストラや吹奏楽といった大編成の作曲家として成熟するには、その作業が不可欠だ。作曲家でありながら指揮者であって、自作を指揮する機会を得ることが、どれほど大きな糧となることか。

 

音楽家とはいえ、頭の中身は完全に理系の保科洋は、この機会を最大限に活用して独自の理論体系を築き上げた。保科洋の管弦楽法、指揮法、楽曲分析と演奏解釈法は、すべてこの過程から生まれてきたものだ。

だからこそ、保科洋のもとには、今も指揮や指導の依頼が引きも切らない。しかし、保科洋はもう80歳を超えている。永遠に、いつまでも指導は続けられない。

あとに続く私たちが、今学ばなければ、知識は途絶えて消えてしまうだろう。

 

保科洋のライフワークのうち、楽曲分析と演奏解釈については、すでに各地の講習会で伝達が行われている。また文書で記録に残す計画も進んでいる。

しかし、指揮法については、これまでいくつかのビデオが発行されたのみで、インタラクティブな講習の場が少なかった。

 

幸い、今回株式会社パルス東京の多大な協力を得ることができたおかげで、保科洋の指揮法を学びたい人が参加して学べる場を提供できることになった。

私としては、1回だけでは意味がなく、なんとか毎年開催して10回くらい回を重ねられたら、保科洋の指揮法の真髄を受け継ぐ人が10人くらいは現れてくれるのではないかと期待している(もちろん、本人に言えば「そんなに生きられるかわからん!」と笑い飛ばすだろうけれど)。

 

そうしたら、その10人が、今度はそれぞれ10人ずつ教えていけば、いつか全国どこの中学や高校でも、希望すれば保科洋の指揮法のもとで演奏が可能になる──そんな日が来るかもしれない。

 

「保科洋の指揮は真似できない(真似するな)」という声を、結構頻繁に聞く。もちろん、真似はできるはずがない。本当に真似をするなら、保科洋がこれまで経てきた、とてつもなく贅沢な体験を繰り返さなければならないだろうからだ。

 

しかし、その中からエッセンスを汲み取って、自分なりの指揮を発展させることはできる。保科洋と同じ形である必要はまったくない。「古き良き時代の人」にはなれないことを惜しむ必要はない。

先人からのバトンを受け取って、さまざまに形を変えながら未来へと繋いでいく、そこにこそ本当の発展があるのだから。

 

ただ、80歳という年齢では、おそらく次の時代のための種を撒き始めるには最後の機会になるかもしれないから、ぜひ、その種を受け取って自分が育てるのだ、という覚悟で、なるべく多くの方に参加していただけたら、と願っている。

 

(参加者が少ないと、Hoshina Music Officeは大幅な赤字を背負うことになって、来年以降の開催が厳しくなります。皆様のご参加をお待ちしております!)

保科洋指揮法クリニック発起人 保科琴代